ソウル・インタビュー

「空白」のままで

「師匠、修行はいつになったら始まるのだね?」
「もう始まっておる」
「だけど、まだ何も教わってない」
「それは、わしが教えておるものが、まだそなたに分からないだけのことよ」
(「影との戦い~ゲド戦記1」より)

何かを語っても、
いくら伝えようとしても、
まったく「通じていない」ときがありませんか。

 

こちらの表現にも、もちろん問題はあるでしょう。
でも、この師匠とゲドの会話のように、

「伝えているけれど、相手がそれと気付けない」

という場合も、少なくありません。

 

こうした場合の多くは、
相手が、小さな世界観にはまり込み、
外からの視点に立てない、
または、外の世界から自分を見つめるほど成熟していない
というのが原因だったりします。

 

受け入れる準備が整っていないわけですね。

 

これって、理解力や知識があればいいってわけでもないんです。
たとえば、僕の業界でいうと、
ある特定の心理学やコーチングの知識が豊富だと、
他の流派の何を見ても、その知識に当てはめて理解しようとする。
そして、「分かったつもり」になるんです。

 

「ああ、これって、〇〇でいうところの△△ですよね」という具合に。

 

完全に間違いではないでしょう。
でも類似点だけを見て、それを全てだと解釈してしまうと、
事実を大きく歪曲してしまいます。
結果、実際には「何も分かっていない」状態を続けてしまうんです。

 

もったいない、ですよね。

 

もちろん、僕自身もしょっちゅうあるんです(笑)

なので、最近は
「分かった」「知っている」と感じたなら、
そう感じている自分に「気付く」ようにしています。

 

そうして、「本当に分かっているんだろうか」と自問し、
分からないまま、その空白を放置するんです。

 

すると、時間が経って、
あるとき、何かまったく関係ない瞬間に、
ふっと、その空白の一部が埋まる「気付き」が訪れたりします。

 

本当に、何週間も、あるいはもっと時間が経過した
あるときに、突然。

 

それは、頭で答えをひねり出そうとしても出てこないものです。

 

冒頭のゲドは、師匠のもとを離れ、
ずっと年月が経ってから、経験を通じて
師匠の教えに気付いていきました。

 

回答を急がない。
空白のまま、楽しむ。

 

きっと、「自分自身を知る」ことについても、同じなんだろうと思います。
セッションを受けた直後には、分からないこともあるかもしれません。

 

でも、空白をそのままにしておけば、
その後も続く人生の中で、ふと、
「本当の自分」に気付く瞬間が、必ず訪れることでしょう。

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