ソウル・インタビュー

自分のシナリオに爆笑する

 

「1を聞いて、10と思い込む」。人や出来事を「あるがままに見る」のは、人間にとって本当に難しいですね。どうしても自分の解釈が入ってしまいます。そして実は、自分自身についてさえも、「1を聞いて、10と思い込む」状態を続けているのかもしれない、と感じるのです。

 

「見たい現実」と同じように「見たい自分」だけを見ている。良くも悪くも、それが自分だと「勘違い」しているということです。大抵、それはごく一部であったり、ただの勝手な解釈であったりします。でも、気付かなければずっとその勘違いを大切に抱えて、自分で自分を「勘違いの箱」に閉じ込めて一生を送ることになります。

 

「シナリオに流れるメッセ-ジに気付く」

  

先日、ある人の勧めで「人生シナリオ」というものを作成しました。幼少期からこれまでに、大きな影響を受けたと思われる出来事を書き出すというものです。単なる振り返りや棚卸しと違うのは、「発表する」という前提があるということ。最終的に、写真などを付けてパワーポイントに落とし込み、信頼できる人に聞いてもらうのです。言ってみれば、人生のプレゼンですね。

 

嬉しいことも、嫌なこともすべて振り返り、時系列で並べていきます。僕の場合、まずトラウマ的な出来事がたくさん出てきました。嫌なことはすぐに思い出せますよね。でも、それをパワーポイントに落とし込んでいくと、妙な感覚が湧き上がってきました。

 

「そもそも、どうしてこの出来事をそんなに深刻に受け止めているのだろう?」
「なんで自分に影響していると思っているのだろう?」

 

さらに、

「これを発表することで、自分は何を伝えたいのだろう?何を感じて欲しいのだろう?」
そう問いかけてみると、出てくる言葉は

「かわいそうな自分」というものでした。

 
もう、あきれ果てて爆笑です。自分の勝手な解釈で出来事をゆがめ、勝手な物語を作り、それを勝手に「自分自身」だとして、数十年たった今でも人に伝えようとしているなんて……。まさに「シナリオ」を自分でつくっているわけです。

 

一方で、笑えない側面にも気付かされました。それは「かわいそうな自分」を伝えたいがために、分かってもらいたいがために、そういう人生を無意識に選び続けてきている可能性がある、ということです。つまり、失敗したり、かわいそうだと思ってもらえるような「シナリオ」を生き続けているのではないか、と。

 

「1を聞いて、ただ1を知る」。起きた出来事は、ただ起きただけ。それでおしまい。そこに縛られたり、それを「運命だから…」なんて受け止めたり、人生全体に影響を与えていると思ったり、、、。それらは自分の勝手な「シナリオ」にすぎません。

 

それに、もしその出来事や記憶が「誰かからの言葉」だったとするなら、その誰かの言葉さえ、あなたのごく一部分を見聞きして「10と思い込んだ」状態での勝手な解釈に過ぎないのです。誰かの思い込みによる言動を受けて、それを自分の真実だと解釈してさらに思い込みを拡大して、ずっと縛られ続ける……。そんなシナリオ、これからも演じ続けたいですか?

 

2 thoughts on “自分のシナリオに爆笑する

  1. 大沼 吉永

    ちょっと話がずれるかも知れませんが、失礼します。私の場合 幼少期の記憶の一部を絵本にしました。突然、記憶が甦り 絵本に残したい衝動に駈られたのです。あまりに辛くて 涙が勝手に吹き出しました。ほぼほぼ一人の時は 泣きながらの制作で、3ヶ月後 絵本が完成しました。
    気がつくと、あれほど荒れ狂っていた心が 穏やかに平和な境地におりました。
    何が言いたいかと申しますと、人生のシナリオも絵本も、自分が勝手に解釈したものかも知れないのですが、無いことにして生きてきた 子供の時の心の痛みを今の自分が理解する為には必要なことかもしれません。私は、自分らしく生きるための大切な一歩になりました。まとまらず m(_ _)m

    1. subarucoaching Post author

      大沼さん、コメント有難うございます。
      「無いことにして生きてきた子どもの時の心の痛みを今の自分が理解する」
      これは確かに、とても大切でしょうね。そこが甦るのは、とても辛いでしょうけど、認めて、受け止めると、何か大きく昇華されていきそうですね。
      僕の場合、「無かったこと」している記憶が甦る、という感覚ではないので、こういった程度の体験なのだと思います。「無かったこと」「封印している記憶」があるようには感じているのですが、いまのところ分かりません。いつか気がついたら、おそらく今回とはまったく違う深い体験をするだろうと思います。
      有難うございました(^^)