ソウル・インタビュー

ゼロ化極まり、悪夢から醒める

 

何を夢見ていたのだろう?夢、、、本当に変な夢を見ていた。悪夢に近い。

 

昨日、実家に帰って昔のアルバムを見返してみました。写真に写っている幼い自分は、自分ではないように見えました。もちろん、これまでも何度が見たことはあるけれど、昨日はまったく違った感覚に襲われたのです。

 

懐かしさはまったくなく、驚き。「これは、誰なんだ?」という違和感しかなかった。その違和感の正体は何だろう、と考えてみると「十分に包まれ、愛されている」という平凡な言葉になります。それしか出てこない。そんなことが、なぜか昨日は、初めて腑に落ちました。しかも、吐き気がするほどの強烈な自己嫌悪を伴って。

 

写真がたくさん残っているのは小学生までで、中学以降は激減。あってもどこか苦悩しているような、居心地の悪さを感じる表情をしています。完全に閉ざしている感じ。環境を否定し、すべてに反発し、その閉じた狭い「自分の世界」だけで生き始めているのがはっきりと見て取れます。

 

自我の発達や成長という面から見たら、それが普通なのかもしれません。けれど、昨日はなぜか、そんな自分がひどく愚かに思えました。狭いエゴの世界だけで、ああだ、こうだと言い続けていた自分に。その間もずっと変わらずに有り続けた大きな、大きな「変わらないもの」に気付こうとせず、あえて背を向けていた自分に。

 

そして、その状態をいまでも引きずっている自分に気付いて、本当に吐き気がしたのです。

長い悪夢を見ていた。

聖書に「失われた息子」(The Lost Son)という有名なたとえ話があるけど、まさにそんな感覚。

 

ここ半年続いている、すべてが「ゼロ化」するプロセス。昨日はその流れが底を打って、またあらたな循環が始まった、そんな感じがありました。そうだとしたら、この長い悪夢でさえも、大きな恩寵だったのかもしれません。