「自分らしさ」という箱の中で、
そこから動こうとせず、
そこから見えるものだけを見ながら、
ああだ、こうだ言っている。
どれほど指摘を受けても、
どれほどアドバイスを与えられても、
その箱の中から出ていないので、
見えるものが変わらないので、
「言葉」としてしか受け取っていない
それ以上に受け取ることができない
そして無意識的に、
「自分の箱が正しい」と信じ、
相手にも「自分の見えている世界を見てほしい」
「感じてほしい」とさえ思っている
「変わりたい」「成長したい」と言いながら、実は、
「自分を分かって」と叫んでいる
どれほど素晴しい指導を受けようと、
どれほど高価な講座を受けようと、
どれほど立派な資格を得ようと、
その箱の中にいる限り、
なにも変わらない。
永遠に変わらない
箱の中にいる自分に気付かない限り、
「自分らしさ」に執着している限り
自分はこれまで、
どれほどの人の好意を、優しさを、愛情を、
この箱の中で歪めてきたのだろう
滑稽すぎる
情けない
自分らしさの執着、この「自分らしさ」も私の場合 勘違いの自分だったり、都合のいい自分だったりした。一寸ずつ出たり入ったりを繰り返しながら、未知の自分を発見していく。一気にではなく 時間をかけたことが良かった。じっくりと熟成していく感覚である。
大沼さん、コメントありがとうございます。
「ちょっとずつ出たり入ったりしながら」
ほんと、そういう感じですね。
一変に変わるように思えても、時間が経つとまた戻っていますね。
でも、一度箱の外に出た経験を持つと、今度は箱に戻っている自分に気付けるようなります。
だから、ほんとに出たり、入ったり。ちょっとずつですね。
有難うございます。