~「聞く」を奏でる~
よく「話がしやすいね」「聞き上手ですね」と言われます。
けれど、僕自身は特段何かを意識して聞いているわけではないので、「そんなもんかな?」
とこれまでは思ってきました。
でも、繰り返し言われるので、「聞く」際に自分が何に意識を向けているのか、またはいないのかを、ちょっと真面目に考えてまとめてみました。
ところで、ビル・エヴァンズトリオの「ワルツ・フォー・デビー」という名曲をお聴きになたこと、ありますか。僕もジャズに詳しいわけでは全然ないけれど、この曲はすごくよく聴きます。
実はこの曲、インタビューやセッションにおいて、お相手と僕との間で「語る」「聞く」という状態が生まれているときのイメージに、ぴたりと合うのです。
なので、この曲の創り出す場のイメージを背景に、「聞く」という世界を紹介していきます。
「聞く」を奏でる① ベース
「聞いてるつもり」「分かったつもり」になっているだけ、ということを知る。
これが、「聞く」ことに関する基盤(ベース)となります。
逆に言えば、「聞けない」理由とは
「自分の経験、価値観のフィルターを通して聞いている」から。
自分の経験したことや知識に当てはめて「あ、それ知っている」と思い込み、さらには自分の中の小さなルールだけで分かったふうにアドバイスしてしまうのです。
でも、他の人に自分とまったく同じ出来事が起こり、その人がまったく同じ経験をするなどということはあり得ないですよね。さらに、仮にまったく同じ経験をしたとしても、自分と同じように受け止め、感じている可能性は限りなくゼロに近い。
にもかかわらず、多くの人は「自分は分かっている」と思ってしまう。この思い込みが、無理解、ミスコミュニケ―ションの元凶なのです。
「自分は、自分だけのオリジナルの経験を持っている」
「目の前の人も、完全にオリジナルの経験をしている」
「目の前の人の経験、感じていることを、自分が完全に分かるということはない。仮にそう思うとしたら、それは誤解であり、傲慢だ」
その前提に立ち、まっさらな気持ちで相手の話を受け止める。
それが「聞く」ということの初めの一歩であり、すべてのベースとなります。
「聞く」を奏でる② ドラム
「言われたから、言い返した」
「売り言葉に、買い言葉」
相手の言葉に反応し、言葉を返す。
感情的に反応して、打ち返す。
相手から激しく叩かれたなら、こちらも激しく打ち返す。
日常的にみられるやりとりは、ほとんどこの状態。そうして溝は深まり、対立は深刻になっていく……当然ですね。
多くの場合、自分の価値観などを刺激されたことを「攻撃された」と無自覚的に感じて、自分を守るために反応をしているにすぎません。
「自分はいま、何を感じているのか?」
「何に反応しているのか?」
「それは、何のためなのか?」
「それは、誰のためか?」
そう自問してみると、よく分かります。
「自分のために、自分を守るために反応している」ということが。
やっかいなことに、場合によってはそれを「相手のため」だと思い込んでいたりします。
そして、自分の意見を押しつけてしまう。だから余計に分かり合えない。
打ち返す前に、まず自問する。
相手は攻撃しているのではなく、ただ自分の立場を表現したり、気持ちを分かってもらおうと思っているだけです。
それを、ただ受け止める。
「速さや激しさを見せつけるような演奏は、ただの自己満足。一人でやればいい。一分間に何百回叩けるとか、そんなものはどうだっていいんだよ。トリオとして、どんな響きを生み出すのか。大切なのはそれだけだ」
あるジャズドラマーの言葉です。
あくまでも相手のリズムに沿って。
そうするすることで、初めて、少しだけ聞こえてくるのです。相手のオリジナルの鼓動、その響きが。
「聞く」を奏でる③ ピアノ
目の前の人の話を受け止めながら、こちらから問い掛ける場合、多くは自分の想いで導いたり、押しつけたりしがちになります。
思い返してみれば、記者時代に僕を含めたメディア関係の人たちがしていたインタビューの多くは、そういうものでした。
こちらが聞きたいことを、聞いているだけ。
つまり、欲しい答えを聞き出すために質問しているのです。
すべては相手のためではなく、「おもしろい記事」を書くための質問です。
自分が奏でたいメロディーを、勝手に弾いているだけ。
当然、そこには不協和、不調和が生じます。でも、本人は気付かない。
これでは、自分は満足しても、相手は不快であったり、不安になったりします。
そして、結局はトラブルへと発展していきます。
こうした自分のための質問。実はこれ、日常でも頻繁に見受けられます。
では、どうするのか?
調和した場を創り出すために大切なのは、透明な質問です。
「そう思うのは、どうして?」
「その気持ちを満たすとしたら?」
「ほんとうは、どう在りたいの?」
選択も、決定も、すべて相手の自由。
何も押しつけない。
何も教えない。
ましてや、自分が聞きたいことを言わせたりしない。
ただ、「場」を創るのです。
感情、思考を自由に解き放って、
永遠のときの流れの中に存在している自分、に気付く。
……そして、答えに自然と出逢っていく。
そんな「場」を。
そこには自ずと、優れたジャズトリオのような「優しく包まれるような解放感」が生まれます。
以上が、僕が理想とする「聞く」という状態です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これからの毎日において、何かの参考になるなら、幸いです。