「発酵して生きる」とは、どういうことだろう?
このところずっと、このことばかり考えていました。
それは、自分が発酵ではなく、腐敗する方向に生きてきたことに気付いたからです。
「目標達成」「自己実現」
そういったことを掲げてコーチとして独立。これまでセッションを続けてきましたが、実はずっと違和感がありました。
「なにかが、抜け落ちている」
「どこか、空虚だ」
そんな感覚が残り続けていたのです。
「そもそも、どうしようもない空虚感を消し去りたくてNLPやコーチングなどを学び、独立したのに、どうしてなんだ???」
そうした内なる声に向き合うことなく、ただ「この道が正しいんだ」と信じ込みながら突き進んできました。
……気が付くと、行き詰まっている自分がいました。
そんなときに、この本と出逢ったのです。
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だから私が酒を造る場合、私以上の酒はできない。自分が偽物であれば、偽物の酒にしかならない。どうあがいたって、その人以上の酒はできないのだ。
「儲けよう」「利益を得よう」といった意識と、「みなさんのお役に立つように」といった意識では、まったく違う環境が生まれ、それに呼応するように微生物は働いて、まったく違う酒ができるのだ。
不自然なことをしないで自然にまかせておけば、ひとりでに発酵して酒ができていくように、人間だって自然に沿ったら、おのずといろいろなことがうまくいくのだと思う。そうなれば、人間も発酵していくのだ。
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「発酵して生きる」とは、
日々の生活において、自分が生かされている環境で、自分がお役に立てることをただ行うということ。
そして、そのように生きていける世界に感謝すること。
何度も読み返し、反芻していくなかで、そんなシンプルな答えに行き当たりました。
酒蔵の微生物のように、ただ自分の役目を喜んで果たす。
生かされている環境の中で、その循環のなかで、できるだけのことをする。
そうすれば、自然と調和が生まれ、その循環によって環境そのもの(世界)も豊かになっていく。
そのように生きていけるなら、そこには感謝しかない。
一方で、感謝することなく自分が「得したい。損したくない」という意識で生きるなら……
当然、調和は乱れる。循環は止まる。
発酵し、循環を生まないものは腐る。
それは、全体の環境に不必要だから。
分解され、散り散りになって、再びゼロに戻る。それが自然の摂理。
それは、自然の中に生かされている人間にも、そのまま当てはまる。
「自分はこれまで、どのくらい腐っていたのか……」
内観してみると、本当に戦慄を覚えます。
しかも、独立前の会社員時代から、ずっとそうだったということも、いまは分かります。
家族、会社の同僚、仕事の関係者……すべてに対して、どれほど感謝することなく「傲慢」に振る舞っていたのか。
どれほど長いあいだ、腐敗し続けてきたのか……
苛立ち、怒り、不満、妬み、恨み…などはすべて、心の曇りとなっていきます。
しかも、そのことに自分では気付けない。
どんどん視野が狭くなり、どんどん腐敗が進み、そして……。
(会社員時代、5度ほど肺炎で入退院を繰り返しましたが、「さもありなん」ですね・笑)
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立ち止まり、内観することで、心のなかの「曇り」に気付く。
曇りをぬぐっていくたびに、見えなかった「自分」が見えるようになる。
そして、
自分が日々の生活のなかで、発酵していたのか、腐敗していたのかに気付く。
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どんな状況、どんな人間関係にも、感謝を見いだしていく。
そのときは、そう思うことが困難でも、感謝に意識を向け続けていく。
ポジティブに捉え直すとか、意味づけを変えるとかではなく、
ただ、感謝できることに意識を向けてみる。
すると、いつか必ず気付くときが来ます。
「ああ、あのときのことは、自分にとって有難い出来事だったんだ」と。
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地球上のいたるところにある紛争だって、競争の末に起こっていることだ。競争に負けた人々が飢餓に苦しみ、勝った人々がごちそう漬けで体を壊している。いったいどちらに行けば、幸せはあるのだろうか?
人としての生き方を微生物に学び、自然に還れば、腐敗した社会はまた発酵し、争わずとも活かされる道が開けていくはずだ。(「発酵道」より)
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「ワレが」「自分が」の世界を生きる=勝ち負けの世界で、自分の成功だけを願う=孤立する=腐敗する。
これこそ、一般的な自己実現、目標達成への違和感、虚しさの根本原因だったのです。
微生物として生きる=大いなる循環の一部になる=成功(成酵)する=タオそのものになる。
本当の自己実現とは、大いなる循環の一部として、発酵して生きる、ということ。
それは、それぞれの違いを生かし合い、生かされてお役に立てることに感謝する、ということです。
そして、そういう生き方こそが、真の「自己実現」でもあるのではないか、と思います。
自分が世界を発酵させているのか、それとも腐敗させているのか。当然、人生は大きく違ってきます。
そこに気づき、「発酵して生きる」ことを選択する。そのためのサポートをさせていただくことが、これからの僕にとっての「発酵道」でもあります。